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ボストン、ニューイングランド地方−アメリカ北東部6州(マサチューセッツ、ニューハンプシャー、バーモント、メイン、ロードアイランド、コネチカット)の旬な情報をお届けします。ホテルやレストラン、アトラクション等をはじめ最新のお役立ち情報をお届けいたします!

 

日本開国の影のヒーロー、ジョン万次郎を訪ねて

日本人なら誰でもジョン万次郎の名で知られる中浜万次郎について耳にした経験はあると思いますが、実際の万次郎の功績については、まだまだ知られていないと思います。NHKの「その時歴史は動いた」や、昨秋から3年に渡り鳴り物入りで放映されているドラマ、司馬遼太郎原作の「坂の上の雲」など、万次郎が主人公、あるいは陰の立役者として成り立っている番組が注目されているということを頭の隅に感じながら、今回は万次郎ゆかりの地、マサチューセッツ州、フェアへブンとニューベッドフォードを訪ねてきました。

ミリセント図書館
ミリセント図書館
中浜万次郎像
中浜万次郎像、高知県
ホイットフィールド船長邸
ホイットフィールド船長邸

ジョン万次郎は江戸幕末に14歳で土佐沖に出漁中遭難。そして米国の捕鯨船に救助され、彼の才能を見抜いた船長の強い引き立てにより、当時の日本人として初めてアメリカ本土に渡りました。ホイットフィールド船長の故郷、マサチューセッツ州、フェアへブンで英語、最新の測量や航海術を学んだ後、鎖国か開国かに揺れる日本に帰国し、様々な偏見、障害を乗り越え、日本の夜明け、そして列強との交渉に多大な功績を残しました。さらには、土佐藩主山内容堂の指揮下、藩の若き青年達、つまり、河田小竜から坂本竜馬にいたるまで万次郎によって意識改革がもたらされました。土佐藩や薩摩藩がいち早く開国、そして富国強兵のために先進諸国の技術、知識を吸収する必要を切に感じたのもジョン万次郎の影響によることが多大です。 さて、フェアヘブンには、ホイットフィールド=万次郎フレンドシップソサエティーという団体が存在します。 前身は、もう何十年に渡り活動するフェアヘブン、ニューベッドフォード=土佐清水市姉妹都市委員会であり、国際的な視野を包括するということで現在の名称に落ち着きました。「Manjiro Trail」という名で万次郎が暮らしていたホイットフィールド(日本語的発音ではウイットフィールド)船長宅を始め万次郎が通った学校や、教会、教師の自宅などが整備されています。特に、ホイットフィールド船長宅は日本人の篤志家日野原氏が中心になり、朽ちかけている家屋を買収、2009年5月7日(万次郎がこの家に到着した日)にオープニングの式典が開かれました。 私達がフェアヘブンを訪れた日は、お忙しいなか、ホイットフィールド=万次郎フレンドシップソサエティー会長のルーニー夫妻が温かく迎えていただきました。ジェリーさんと奥様のアヤコさん、長年国際交流に関わり、地元でのお顔の広さには感服しました。ご夫妻の好意により、当地の見所、特別な所蔵品など見学できる機会をアレンジしていただきました。先ずは、ホイットフィールド=万次郎フレンドシップソサエティーの成り立ちや、現在ウイットフィールド船長宅の再現プロジェクトがどのように進行しているかのお話をお聞きしました。フェアヘブンは、捕鯨、貿易の全盛期アメリカでも非常に豊かな地域であったということで、現存している公的建物、教会など大都市に引けをとらない、言い換えれば非常に価値の高い構造物との評価があります。街の中央部には「こんな華麗な建築物が!!」と、突然の巨大建築に肝を抜かれました。

ホイットフィールド船長邸
ホイットフィールド船長邸
オールドストーンスクール
オールドストーンスクール
学校の内部
学校の内部

そして万次郎トレールを辿り、万次郎が読み書きを習った、オールドストーンスクールや、数々の記念品を納めたミリセント図書館を見学しました。特に印象に残ったのはミリセント図書館が長年にわたって保存している大型記帳本の内容です。皇太子時代の明仁様、美智子様の記名が一般の方たちの記帳に混在されていました。興味深かったには、現在民主党幹事長である小沢一郎氏が、「自由民主党幹事長 小沢一郎」と1ページ一人独占で記名されていたことでした。私達も記念に記帳しましたが、流石に1ページまるまる使う厚顔さはありませんでした(笑)。

天皇皇后両陛下の記帳
天皇皇后両陛下の記帳
現民主党幹事長、小沢氏の記帳
現民主党幹事長、小沢氏の記帳

その後、隣接するニューベッドフォードへ移動。捕鯨と貿易、近代では水産の集積地である当地は、捕鯨、貿易によって栄えた過去の栄光と、最近の漁業基地としての立場が混在する微妙な地域です。漁業を得意とするポルトガル系の移民が住民の多数を占めるボストン近郊でもユニークな街ですが、ポルトガル郷土料理や地元産シーフードなどを気安く楽しめる地域です。
ここでのお勧めは捕鯨博物館、実際の鯨の骨格を(それも超大型)を入り口の空間に展示。さらには当時の捕鯨船のレプリカを展示し体感できるアレンジもあります。鯨採りとしてアメリカ人からも一目置かれた万次郎の当時の様子に姿を重ねることの出来た展示でした。また、ショップで扱われるセンスのいいTシャツやトレーナーなども目を惹かれました。

捕鯨博物館外観
捕鯨博物館外観
鯨の骨格展示
鯨の骨格展示

ざっと 廻れば、半日ちょっと、ゆっくり廻れば2日くらいかけたいフェアヘブン、ニューベッドトフォードでした。最近は、湾に面した民宿やホテルなどが完備され、南に位置するマーサスビンヤード島への定期フェリーの発着港としてリゾート的な面もあるようです。9000キロ離れた日本、そして姉妹都市である土佐清水とも強い絆を感じるとともに、ニューイングランド精神を継承しているこの地域を強く印象付けられました。素朴ながらも、世界に誇る草の根交流の原点として、一度ならずとして訪ねて見たいと感じました。

 

ニューイングランドのバレンタインデー

元々は、明治維新をきっかけに来日した西欧米文化の影響、さらに1970年代以降の製菓、流通企業によるマーケティング戦略の洗脳大作戦が功を奏し、日本では「バレンタインデーはチョコレートとともに女性から男性に愛の告白ができる日」としてすっかり定着しました。さらには欧米には存在しない「ホワイトデー」やら「義理チョコ」など手を変え品を変えて消費者の財布の紐を緩めようとしています。

ここアメリカでもご多分に漏れずやはり商業主義が横行していますが、バレンタインデーの意味合いはずいぶん違います。この日は、自分にとって大切な人、つまり、友人、家族、恋人、配偶者といったあらゆる人に対する愛情と感謝の確認という行事となります。

保育園レベルでは、大好きなアニメキャラクターのカードに「誰々より誰々へ」というのをクラス全体の活動として作り、スペリングや運筆の教育として取り入れています。小学校でも同じように、友情、情操教育として、日本で言う「道徳」(最近死語になりつつありますね)英語、図工の複合カリキュラムに応用しているようです。 バレンタインデーの1週間前、地元の大手ドラッグストアCVSに行ってきました。来年通りギフトカード、チョコレート関連のセールが目立ちました。

各種バレンタインデーカード
各種バレンタインデーカード
各CVSの陳列風景
CVSの陳列風景

中学、高校になると状況は変わり、親しい友人間での友情の確認、そして校内での様々なクラブが活動資金集めを狙った、イベントを企画します。いわく「好きなあの子へのコーラス付伝聞サービス」とか、体育会系、文化部系が参加する「バレンタイン記念チームコスチュームコンテスト」などです。生徒だけでなく、各科の先生たちも「ノリノリ」で英語科は、皆ピンクのTシャツ、真紅のバラをテーマに授業をする、といった感じで、毎年のYearbook〔卒業写真集〕にも掲載されます。
大学以上になると、雰囲気はぐっとロマンチックになり、日本のクリスマスイブのようなお二人様御用達ディナーを出すレストランを利用するカップル、夫婦も増えてきます。今年は、世界同時不況のあおりでかなりリーズナブルな価格設定をする高級レストランも目立ちました。
実質的な大学生、若手社会人の中には、トップランクの食材を購入し、自宅で調理し楽しんだ方がましだという意見も多く、材料を奮発しカップルで一緒にご馳走を作り、キャンドルライトのディナーをレストランの半額以下で楽しむという話も最近よく聞きます。

ちなみにうちでは、ハーバードスクエアの高級チョコレート専門店、L.A. Burdick Chocolate(www.burdickchocolate.com)へ行き、朝のホットチョコレート〔ココア〕、とチョコレートブレッドを家族でブランチ代わりに食しました。ここのチョコレートは繊細でかつ高価!?ということもあり、大切な人へのギフトとして御用達のハイエンドのチョコレート専門店として知られています。特にねずみやペンギンを模ったキャラクターチョコレートは可愛らしく大人気です。
チョコレート専門店ということもあり、ここのホットチョコレートはココアと呼ぶより、やはりホットチョコレートと呼びたくなる濃厚なフレーバーでとても美味しく、是非一度は試して頂きたいです。また、クロワッサンやペーストリー類も美味しくてお勧めです。 本当は、バレンタインの豪華なディナー?も若干期待していたのですが、サンデーブランチの十分満足できる内容に満足しました。

ココアとチョコレートブレッド - 美味!
ココアとチョコレートブレッド - 美味!
L.A. Burdick店内
L.A. Burdick店内

日米でバレンタインの解釈の違いがありますが、毎年皆が気にする愛のイベント、寒いボストンで身体もハートが温まる体験をして頂きたいと思います。

 

感謝祭事始め

11月の第4木曜日は、サンクスギビング(感謝祭)の祝日です。日本でいうとお盆かお正月といった感じで家族が一堂に集まる、アメリカでは珍しく宗教色が一切無い休みとなります。この感謝祭、実はここマサチューセッツ州が発祥の地とされていて、1621年に始まりました。イギリスで宗教的な迫害を受けた清教徒達が、自由の新天地を求めてメイフラワー号で大西洋を横断しプリマスの地に着いたのは1620年でした。当初予定していたバージニア州近辺から、航路を外れて到着したこの地は、イギリスとほぼ同緯度とはいえ、寒流と北極圏からの寒波の影響を受けるこの土地は、冬の寒さが厳しく、また、慣れない開拓生活と食料の確保が難しかった事もあり、当初102名だった清教徒達のうち翌年の春までに生き残ったのは約半数の55名に過ぎませんでした。

当時の生活を再現する開拓村
当時の生活を再現する
開拓村
ワンパノアグ族のセクション
ワンパノアグ族のセクション
近所で道路を横断する野生の七面鳥
近所で道路を横断する
野生の七面鳥
焼き上がったターキー(七面鳥)
焼き上がったターキー(七面鳥)

苦しい開拓生活に援助の手を差し伸べて来たのが先住民のワンパノアグ族で、トウモロコシの栽培や、染料や消毒薬としても使えるクランベリーの存在、春の産卵に遡上するニシンを酢漬けや肥料にする事等を教えてくれたのです。彼らの協力もあり、1621年の秋は素晴らしい収穫があり無事に冬を越せる見通しが立ったため、ワンパノアグ族を招待し感謝祭の晩餐を行ないました。この時にワンパノアグ族が持って来てくれた鹿、七面鳥がメインディッシュとなり、サンクスギビングといえば七面鳥という図式が今日まで続いているのです。プリマス植民当時の生活を再現しているプリマスプランテーションでは、開園中は年間を通しカフェテリアでサンクスギビングディナーを提供しています。アメリカ人にとって七面鳥はある意味でソウルフードと言えるのかもしれません。

ボストン近郊は約300万人の生活圏を形成していますが、自然保護の精神が古くから続き、高層ビルが建ち並ぶ市の中心にある公園ではリスや鴨、白鳥が多数生息していますし、車で15分も走ると緑の多い住宅地になります。私の自宅も市内から20分程ですが、裏庭にはリス数家族、アライグマの親子、スカンクの親子、野鳥等が住み着き下宿人(?)の鳴き声や運動で早朝から起こされる毎日です。近所に犬の散歩に出かけると、鹿やウサギ、狐等をよく見かけます。もちろん感謝祭の主役である野生の七面鳥も群れをなして道路を渡って行きます。感謝祭の時期、全米で食べられているメニューの中心をなしているのは、ボストン付近で今までの時期に収穫された地元の食材である事を考えると不思議な気持ちです。アメリカでも他の地方に住んでいる方達には、いまひとつ実感がわかない様です。

さて、今日は恥ずかしながら我家のサンクスギビングデイナーをご紹介します。娘達にリクエストを聞くと、毎年必ず登場するものをまとめました。感謝祭のメニューはそれぞれの家で定番がありますが、特に七面鳥の中に詰めるスタッフィングは出身国の食材等を採り入れて工夫しているところが多い様です。我家の場合は和風テイストとしてもち米を使っています。ジブレットといわれる七面鳥の内蔵、ナッツ類、ドライフルーツを炒め合わせ、スープストック、糯米、日本酒、醤油を加え六歩通り火を通して七面鳥に詰めます。七面鳥は生のものを注文しておき、前日からスパイスやつけ汁で下味をつけておきます。サイズはお呼びする人数によって変わりますが、大体一人当たり1.5キロを目安にしています。今年は家族4人プラスゲスト1名という少人数なので6キロと我家では小さめのものを購入しました。オーブンの中で七面鳥が乾燥し過ぎない様に時々トマトジュースをかけながら5時間程で焼き上げます。スープストックと焼汁で作ったグレービーソースを添えて食卓へ。アメリカでは、切って取り分けるのは昔から男性の役割となっています。

焼き上がるまでの間に他のメニューを用意します。先ずは前菜としてスモークサーモンやホワイトアンチョビー、チーズを盛り合わせたカナッペ類です。最近人気なのがアーティチョークと煮豆、バジルをペースト状にしたもので、クラッカーやバケットのトーストにつけて食します。スープはカボチャのクリームスープ。これも地元で今の時期大量に収穫されます。サラダは、何故かタイ風サラダ。牛肉のたたきとエビをあしらい、ナンプラーや香菜を使ったドレッシングでサーブします。付け合わせは芽キャベツとベーコンの炒め煮、小玉ねぎのクリームソース、マッシュポテト、キノコ類のバターソテー、そしてクランベリーソースです。

デザートは、アメリカ風のアップルパイにバニラアイスクリームを添えたもの。今年は雨が多い悪天候が続いたものの、数年振りにりんごが大豊作で思わずアップルの量も山盛りにしてしまいました。 アメリカでは、感謝祭は里帰りの意味合いもあり、1年の中で前日と当日が一番の帰省ラッシュとなります。また、各町で地元高校のアメリカンフットボールの定期対抗戦があり、ミニ同窓会といった感じで旧交を温め合う微笑ましい光景を見る事が出来ます。
翌金曜日は、ブラックフライデーと呼ばれホリデーショッピングの開始となります。真夜中から店を開けているところも多数あり、数量限定の目玉商品を獲得するために前々日位から店の前にテントを張って行列待ちをする人もいる程です。今年は世界同時不況の影響もありクリスマス商戦も厳しいようで、高級ブランドの路面店などでも大幅なディスカウントを行なう様です。大量に作ったサンクスギビングディナーの残り物があるお蔭で、食事の支度を気にせずに家族でショッピングに専念することができます。残り物の利用方法としては、ターキーサンドイッチやターキースープがポピュラーで、2~3日ターキーを食べ続ける家族も数多いそうです。 感謝祭からクリスマス、新年までは何かとご馳走を食べる機会が多く、ただでさえ肥満が多いアメリカ人にはうれしいけど辛いシーズンです。年が明けるとテレビのコマーシャルはダイエット関連やジムの入会に関しての宣伝が他を圧倒し、毎年の事ながら思わず笑ってしまうのは私だけでしょうか。

 

レキシントン、コンコードのペイトリオッツ・デー (愛国者記念日)

4月の第3月曜日は、マサチューセッツ州がアメリカ独立戦争勃発を記念して制定した州の祝日である。独立のために闘った愛国者達(ペイトリオッツ)という言葉は、地元の名門アメリカンフットボールチームの名前にも受け継がれている。この週、州内の公立の学校は春休み。また、役所などの公的機関も日本でいうハッピーマンデーで休日となっている。今年で113回を迎えるボストンマラソンもこの日に開催される。 マラソンの陰に隠れて目立たないが、州内では独立戦争にちなんだ様々なイベントが開催される。中でもやはり戦闘が開始されたレキシントン、コンコードの歴史再現イベントの人気が高く、夜明け前から数千人の観衆を集めている。

1775年4月18日の夜、ボストン植民地に駐屯するイギリス軍はコンコードに植民地民兵(ミニットマン)が保管している弾薬を押収するために700名の部隊を派遣。これを察知した植民地側の伝令が、馬で早駈けし郊外の町にイギリス軍が出動したという警告を伝えた。19日未明、レキシントン村の緑地(レキシントン・グリーン)に待ち構えていた77名の民兵とイギリス軍の間に銃火が交わされ、数人の民兵が殺された。「1発の銃声が世界を変えた」という出来事であった。イギリス軍はコンコードに移動し、ノースブリッジで500名の民兵軍と戦ってこれを蹴散らしたが、ボストンに引き上げ始めると、数千に及ぶ民兵が集まってきて、道路沿いからイギリス軍を攻撃し大きな損失を与えた。このレキシントン・コンコードの戦いで独立戦争が始まったのである。 レキシントンの再現イベントの開始は、朝5時30分から。以下、昨年の体験をご紹介したい。地元の開催委員会のボランティア達は前日から徹夜で準備を進めていた。聞けば、町を挙げてのイベントという事で、昨年のイベント終了後すぐに今年に向けての開催委員会が発足したそうだ。当時のコスチュームで行進や模擬戦闘を行うボランティア達は、何度も入念なリハーサルを行ったという。もちろん、町の警察署も交通整理や観衆の誘導に総出で出勤している。

まだ真っ暗な朝4時を過ぎると、いい場所を確保しようと折り畳みのいすや脚立を持った人々が詰めかけ始める。5時頃には、レキシントン・グリーンの周辺は数千人の見物客でいっぱいになった。夜が明けていないのと何重もの人垣で、後ろの方からはロープが張り渡された緑地内の様子はほとんどわからないくらいである。辺りを見回すと、子供連れの家族や学生が目立つ。学校が休みのせいか、孫達と一緒のおじいちゃん、おばあちゃんの姿も多い。近辺の町や州内から来ている人も多いが、観光地のため州外や海外からの訪問客もあちこちに見かける。隣に陣取っていた家族連れはテキサスから来たそうで、このイベントの後はフェンウェイ球場でレッドソックスとテキサスレンジャースの試合観戦、そしてボストンマラソンに出場する奥さんの弟の応援と、いいとこ取りの充実した1日を過ごすらしい。

夜明け前から集まってきた見物客
夜明け前から集まってきた見物客
早駈けする伝令
早駈けする伝令

ようやく5時30分、教会の鐘が打ち鳴らされるとしばらくして馬に乗った伝令が「イギリス軍がやってくるぞ!迎撃の準備!」と叫びながら街道を走り抜けて行く。一呼吸置くと、鼓笛兵を先頭にレッドコートと呼ばれる赤い軍服に身を包んだイギリス正規軍が行進してくる。レキシントン・グリーンの入り口からは駆け足行軍になった。

戦闘が見やすい場所へこちらも駆け足で移動。しかし、人垣が厚く開始間際になってもなかなか中をのぞく事が出来ない。前に行こうとすると周りからズルをするなと、冷たい言葉が飛ぶ。ここで捨てる神あれば拾う神あり。大型の脚立の上から親切な人が、スペースがあるから中段から見ていいよ、と声をかけられた。伸び上がって見ると同時に最初の一斉発砲。メル・ギブソン主演の「パトリオット」のワンシーンのように、対峙した兵隊達が盛んに銃火を交えている。

行軍するイギリス軍兵士達
行軍するイギリス軍兵士達
人垣の向こうで模擬戦闘が繰り広げられる
人垣の向こうで模擬戦闘が
繰り広げられる

5分余りで、模擬戦は終了。イギリス兵役のボランティア達は隣のコンコードに向い、コンコードのボランティアイギリス兵と合流して本日2回目の戦闘に参加するそうだ。レキシントンではその後も町の中心部を歩行者天国にし、終日独立戦争にちなんだイベントや子供向けのアトラクションを開催していた。コンコードでも同じ様なイベントを行っている。

春から秋まで観光客で賑わうレキシントン、コンコードはボストン郊外の閑静な高級住宅地であり、またアメリカ初期文学の文豪や哲学者、思想家達が住んでいたサロン的な町でもある。ペイトリオッツ・デーのイベントは年1回だが、当地のミニットマン国立歴史公園のビジターセンター内では、映像によるショーやジオラマ模型で当時が再現されている。ボストンから約30分足を伸ばし、是非訪れてみたいディスティネーションである。

 

ボストンでは一年中オイスター

ボストンの名物料理と言って真っ先に思い浮かぶのは多分シーフード、それもロブスターでしょう。正統派の老舗レストランから、アジア、エスニックを反映した最近のトレンドレストランまで、ロブスターやボストンマグロを素材としたメインディッシュを、主力として推すところが多い様です。スタンダードな丸茹でのロブスターをレモンとバターで食べるタイプから、ソースに凝り美しく盛り付けたグルメ指向の一皿まで多種多様です。

オイスター1 オイスター2
オイスター
オイスター3

ところで、20年程前まで、マグロ、特にトロはアメリカに於いての食材としてはあまり重要視されませんでした。バブル景気に浮いた日本が最上級のマグロを買い占め、その後、アメリカのグルメ指向が高まったためマグロ高騰傾向は今まで続いています。外をカリッと、中を半生に焼いたマグロの美味しさにアメリカ人も目覚めてきたという事でしょうか。

さて、今回のニューイングランド便り。シーフードでもオイスターを取り上げたいと思います。何で今更?という声も聞こえそうですが、近年アメリカの食材消費の中でも群を抜いて上昇気流に乗っているのがオイスターなのです。

元々ボストン周辺は、潮の干満の差が高い、肥沃な森林地帯からの伏流水が注ぎ込む湾が多い、寒流により年間を通し水温が低く食中毒の原因となるバクテリアの繁殖が抑えられる、といった要因で世界でも有数のオイスター生産地として知られてきました。ホタテ貝やハマグリ、ムール貝等養殖しなくても充分漁獲できるという環境です。但し、最近の捕獲漁業から育成漁業への転換の重要性を一早く察知し養殖にも力を入れています。

堅い話題はここまで。ボストン市内、最近の「オイスターがうまい」お店を紹介しましょう。先ずは、Summer Shack、ここはハイエンドのレストランを経営していたオーナーシェフのJasper White氏が、孫達が海の家でシーフードを楽しめるような雰囲気、とのコンセプトでオープンしたカジュアルでなおかつクオリティーの高いお店。ボストンのバックベイ地区、ケンブリッジ、さらにはコネチカットのカジノリゾートにも出店しています。

ここの自慢は全世界各地から取り寄せた旬の牡蠣を十数種類常時揃えている事、そして専属のshacklers、つまりオイスターの殻剥き師がお薦めのオイスターを自信を持って供している事でしょう。ケープコッドのウェルフリート(塩分やや強め、大きめの身)、プリンスエドワード島のマルペック(シコシコ,プリプリした身)を始め絶品を揃えています。ウェイトスタッフも注文する時にそれぞれのオイスターの特徴を教えてくれるのでビギナーにとってもうれしいです。また、アメリカ風カキフライ、イカのスパイシーフライ、ハマグリのガーリックバターグリルなどもこの店の前菜のお薦めです。

次は、全米展開しているMcCormicks & Schmicks、ここもオイスターの種類が多いのが特徴と、夕方、深夜のハッピーアワーでオイスター、おつまみが格安になるというのが日本人にとって有難いと言えます。全米規模での仕入れをしているせいか、西海岸北部産のオイスターのバラエティに富んでいます。クマモトという、元々は日本の稚貝を育てて、現在の品種にしたものは、小振りながらミルキーで海の味が凝縮された、アメリカでも超人気のアイテムです。その人気故に、中々市場に出て来なくなりましたがこの店ではお目に掛かる確率が比較的高い様です。

 

ボストン美術館 - 野心的な拡張プロジェクト
拡張
赤い部分が今回のプロジェクトで
増築される建物
外観1
新館を間近に見る。
このなかにアメリカ美術展示ギャラリーが含まれる

ボストン美術館は2010年末までの完成を目指して、現在拡張工事中である。目標額5億ドル(約500億円)の資金調達を基にしたこの「Building the New MFA」は、全米でも注目されている大規模な改革プロジェクトであり、歴史の古さを誇るこの美術館にまったく新しい特色をもたらそうとしている。このプロジェクトにはいくつかの大きな目的がある。

  • 4階建ての別館を新設し、アメリカ美術の展示を充実させる。
  • 現代美術の展示と所蔵スペースを2倍以上に拡大させる。
  • 修復部のスペース拡張と統合による活動内容のさらなる充実を図る。
  • 150人収容のイベント講堂(オーディトリアム)建設を含む、美術教育活動の一層の活発化を目指す。
  • ハンティングトン通り入り口の改装と、これまで長い間閉鎖されていたフェンウェイ側の入り口をオープンし、さらに多方面からのアクセスを可能にする。
  • 別館に導くガラスで囲まれた中庭を設け、パーティや会議の場として活用する。
外観2
全体見取り図
中庭
新館に続くガラス張りの中庭
Ruth and Carl J. Shapiro
Family Courtyard

建築家は英国ロンドンを拠点とするFoster + Partners。まもなく完成する世界最大の北京空港プロジェクトを手がけている世界的規模の建築事務所である。彼らの基本理念は、エコロジーを強く意識し、歴史的背景を含め既存環境に調和したデザインを行うこと。MFAの場合も、1909年以来の歴史ある建物に上手く馴染むガラス張りの現代的な新館が誕生する予定だ。

このプロジェクトが完成すると、美術館の面積は現在よりもほぼ28パーセント拡大され、これまでは展示される機会のなかった名作を鑑賞することができるようになる。特に4階建ての新館は、地元ボストンを代表するコプリーやサージャント、ホーマーはもちろん、ペルーやマヤなど古代アメリカの作品から、家具や銀食器、ネイティブ・アメリカンの陶器、そしてホッパーやダヴ、ポロック、オキーフなどの近代を代表する作家に至る、アメリカの歴史の流れを象徴する多様で世界的評価を持つMFAのアメリカ美術コレクションを一同に楽しむことができるようになる。また、現代作家たちの時差のない活気を伝える現代美術のギャラリーの拡大は、過去の名作で主に知られていたこれまでのMFAの位置づけを現代にアップデートすることになり、美術館活動にもさらなる活気をもたらすであろう。

 

スポーツ王国ボストン

見るプロスポーツとしては、野球、アメフトは勿論のこと、年間を通じて様々な競技を楽しめます。大型トレードの成功で昨年までの不調が嘘のように、今シーズンリーグ最高の成績で躍進するプロバスケのセルティックス(過去NBA最多優勝の名門チーム)、アイスホッケーの名門ブルーインズ、昨シーズンのメジャーリーグサッカー準優勝のレボリューション、プロラクロスのキャノンズなどがメジャーですが、下部リーグの試合、テレビ中継も充実しており、ほぼ毎日地元チームの試合を観戦できます。また、有名大学が多数集中しているため、様々なカレッジスポーツの観戦にも事欠きません。

やるスポーツも、春から秋はテニスやバスケ、サッカーなど屋外の無料コートが利用できる他、サイクリング、セーリング、ハイキング、キャンピング、フィッシング、ゴルフなど豊かな自然を利用したアクティビティーを楽しむ事が出来ます。冬は、アメリカ東部随一のウィンターリゾートまでのアクセスが車で1~3時間で可能。スキーやスノーボードを満喫できます。

文化や教育、テクノロジーで知られる街ボストンですが、スポーツファンにとっても魅力が一杯です。

 

珠玉! ビーコンヒルの知られざる名ガーデンツアー


毎年恒例のビーコンヒル・ガーデンクラブが主催するガーデンツアーに参加した。 ツアーとは言っても、参加料と引き換えにチケットと12カ所のお庭の位置が記載されたマップが手渡されて、後は参加者が自由にそれぞれのペースで庭巡りができるようになっている。

レンガ造りの個人邸宅内にひっそりと存在する庭の数々は、この日にしか一般には公開されておらず、ガーデニングに興味がある人だけでなく、ボストニアンの憧れの歴史的な高級住宅地、ビーコンヒルのハイソサエティのお宅の中を垣間見ることの出来る良い機会ということで、毎年参加者が増えているそうだ。マップに掲載されている12カ所のお庭の中でも、一番人気だったのが、Louisburge Squareにあるお宅の庭で、まるでインテリア雑誌に載っているような、趣味の良い調度品でまとめられたリビングルームやキッチンを抜けると階段状に作られた庭に出る。白い紫陽花やアイビー、シダなどの様々な種類のグリーンが溢れる中に、鏡や置物などの小道具を配置し、青い紫陽花やテーブルにおかれた青いグラス等がアクセントになっている。極めて限られたスペースだからこそむしろ印象的な庭に仕上がっている。

ビーコンヒルの庭で見られるガーデニングのテクニックは狭い日本の庭作りにも参考になるのではないかと思う。

場所:Beacon Hill's Historic District
*チケットの引き渡しはMt. Vernon StとCharles Stのコーナー。
日時:毎年5月の半ば(2007年は5月17日)9am-5pm 雨天決行
料金:前売り $25、当日 $30
お問い合わせ:(617) 227-4392
www.beaconhillgardenclub.org

 

ボストンレッドソックス・フェンウェイパークツアー


ボストンレッドソックスの本拠地フェンウェイパークは1912年にオープン、メジャーリーグ最古の球場で、年間を通し見学ツアーが実施されています。リーグ創設期から現在に至るまで様々な伝説を生んだ球場の舞台裏を体験することが可能です。

ツアーは、球場真向かいのギフトショップからスタート。報道関係者の詰めるプレスボックスや入場料が高いラグジェリーボックスなどのセクションにてガイドから説明を受けた後、球場の最高外縁部をぐるりと巡ります。メジャーリーグで3番目に規模の小さい最大収容人数3万8000人(内立見席約2000名)の球場ですが、最大のライバルであるニューヨークヤンキースとのエピソードや、左翼にそびえる壁(グリーンモンスター)など四方山話を聞きながらの1時間は写真撮影や質問にも充分な時間をとった盛りだくさんの内容です。

シーズン中は、グラウンド内やメジャーリーグ唯一の手動スコアボードの裏側の見学等もツアーに含まれています。ホームゲームの無い時は選手のロッカールームに立ち寄る場合もあります。

時期によりスケジュールが変更する場合がありますので、事前にお問い合わせ下さい。

 

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